屁理屈と思い込みの記事一覧

ふるさとは遠くに有りて思うもの、とは確かにそのようだ、ふるさととは「古い郷」それは昔に住んで居た所、住んで居たという事は生まれた所、生まれた所には父母が居るから一定期間は父母の元で「ものごころ」が付くまで居るからその日々の生活が身に沁みついている所が「ふるさと」と云える。

鳥や動物は一定期間が過ぎると親から追い出される、我ら人間も同じで独立して一般に言われる「核家族」となる。

我ら人間には親から離れても血族という繋がりを基にして深い慈しみの心で父母を思い、また親は子ゃ孫を思う、これが我ら人間の持つ本能といいるだろう。

その親族というか親子の関係に於いて、親は遠くに住んで居る子へ親の気持ちとして栽培した野菜や自分が作った食べ物を届ける事で親の気持ちを伝えている。    これは農家の事だが、街部で暮らしている親に於いても親の身近な環境から物を選んで届けているだろう。

貰った子供は何歳になっても嬉しく思い、ふるさとの味、おふくろの味として、子供の時を思い出していると思います。

だか私の故郷はその親子の慈しみの心使いを奪われてしまった、それはわが国では初めての事「原子力発電所」の事故で、ふるさとの産物は子々孫々迄、体に影響を及ぼすという事で、子供は送られても困るという事になりました。

またその親は遠くで住んで居る子供達は正月や盆にも顔を見せなくりなり寂しく暮らしているというのが現実だ。

屁理屈と思い込み

この記事はアフィリエイトの指導者が出版社から「あなたの成功物語を出版したい」という事に対して断ったという事に対してへ私の想いを伝えた内容です。その断ったいきさつは、「成功した事を伝える」という事で読んだ人へ「この、ようにすれば良い」というような指導的な事は必要ないと云う事なので断ったという。

以下文面

何時も送信頂きありがとうございます。貴男の言って居る事はよく判ります、学校の先生は何を教えているのでしょうか、それも見聞きして今の教育者の有り方にも疑問を抱いております。

 今の学校の先生(教師)は個人の行動や考えに対しての指導は出来ないという、教えるのは知識を深める事とのみと聞いた、だから漢字(文字)を右手で書くように出来ているとは言わないという、漢字を教える事は知識を広くする事だが、それに伴う我が国のシキタリは知識ではないのだろうか。

 教育者は教育する知識を持って、これからの行動を変える事を意識して教育していることでしょう、そうでない教育者はただ物事伝達者である。

 貴君の思いもその辺にあるのかなーと思った。料理人でもおなじだろう、ただ作って食べて貰うのであれば毎日同じ味でマンネリしている筈だ、想いを入れて作れば味は違うはずだ。

蕎麦屋の主人に聞いた話だが、毎日味を変えているという、それは贔屓の客がいつまでも贔屓客で有るように思って居るからだと。

指導者としい指導したからには、変化して行く事を念頭に指導しているのは当然と私は認識している、ただ話を聞いて呉れればよいという指導者は御免こうむる。

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