屁理屈と偏見の記事一覧

この度のASEAN会議では、中国が東シナ海の岩礁を埋め立てい我が国の領土という事が問題視されたが議論されただけで共同声明にては盛り込まれなく終えたようだ。という事は中国の主張が通ったと云う事なのだろうか。

誰の物でもない物を先に我が物にした者が所有権があるという事なのだろうか、我が国ではその昔は有った事だろうが現在は無いようだが、まれに登記されないままになっている土地は有るようだ、活用している者はもし発見されても活用している実績があれば認められるようである。

そのような土地を家庭菜園として活用して居たら、所通報されて、それは国の土地だから何時いつまでより「立ち入り禁止」という立て札を掛けられてしまった。その土地とは河川改修により湾曲していた河川を直線にして堤防を作った事により湾曲していた部分が所有者無という事で7名で分けて畑地として使用していたのだった。立て札立てた「河川管理事務所」問い合わせしたら、そのところは堤防が遊歩道になっているので多くの人が気にしているらしく「通報があればそのような処置をしざるを得ないのだ」と言われた。

では貸して呉れないかと言うと「国の土地は個人には貸さない」という、町内とかにはと問うと、畑地としてはダメという事だった。

現在は「花とみどりの会」と云う市会議員が立ち上げたNPOが借り受けて公園にして周りに四季折々の花を植栽してベンチを置いて遊歩道を楽しめる広場となった。

屁理屈と偏見

今年で戦後70年目の夏が過ぎようとしている、国会我が国の「防衛法案」を参議院で審議中である。一部の議員は戦争法案だというが、それも思い方である、そのような意見も聞きながら論争しているのは民主主義の良い所だから大いに論議して貰いたい。「敵を知り己を知れば百戦あやうからず」というから、防衛に徹して貰いたいと思う。

我が国には憲法では「軍隊」は無い事になって居るが警察予備隊からはじまった自衛隊は、既成の事実の軍隊である。個人で言いば他から暴力を受けた時に暴力で仕返しする体力と能力持って居る事を知らしめる事で「表現」をどのようにするかがである。                                    高校教育では日本の近代史は個人の自由選択科目になって居るという、世界史は必須だが、日本国民が自国の事を知らずして世界に出た時どうするのだろうかと思うか。我が国は戦争の歴史で最悪の状態から70年が過ぎた。それまでの歴史を学び再び戦争の無い我が国を「平和国家」として学んで貰いたい。

戦争とは「戦い争う」事だ、我が国では地域豪族の領地拡大で弱き者の領地を奪い争った戦国時代を徳川家康が統一して戦争は一時無くなったが、次は民主主義という旗のもとに戦争をして、また逆戻りして他国へ領地拡大の戦争に起こしている。その時時に戦争に駆り出された農民(庶民)には家族もいるし皆仲良く暮らして居た平和な集落もあった事ですが、戦争という事で父親は亡くなり集落は焼かれて悲惨な事で有ったはずである。それが近代になり今生存して居る我らが過去を学び、そのような事が再び起こらないように知恵を出さなくてはならない時である。歴史は繰り返すというが戦争という歴史は繰り返してはならない。

このような気持ちは戦争で「負けた」者の気持ちなのだろうか、勝って居た米国国民はそのような気持ちは抱かないのではないだろうか、また韓国、中国は一時は負けの苦しみを持っているが「戦争勝者」として我が国を機会が有れば、陥れようとしているのではなかろうか、現在は瞬時にして情報が伝わる時に「相手を知り己を知れば」二度と「戦争」は無いものと信じたい、その為には「自国防衛」は必須に感じます。幾らお人良しの人でも暴力を受けたり自分の物を奪われても「やむを得ない」という人はいないだろう。

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