結婚しても姓を変えたくないというのは違憲であるというので裁判をしている人達いる。その人達は個人の自由を侵されているという事とのようである。

我が国は世界に遅れているとは云うが、私は遅れてはいないと思う、明治の初めは欧州に教えられたことも有るから欧州は何事も進んでおり文化国家の集まりのように思って居る人達も居るでしょう。

我が国はその結果大東亜戦争を起こしてしまい、敗戦となり米国から民主主義の指導を受けて「個人の自由」「個性の自由」を教えられた。

その個人の自由が何か「覚え違い」をしているように思う、何事も個人から始まるのは確かだが、我ら人間は個人では生きて行けない動物だ、必ず2人以上で生活しなければ人間は全滅するのだ。

その始まりは我らで言いば夫婦である、その夫婦が最も近い関係を持たなければならない、我ら人間は争いに成っても知恵を出して互いに理解しあって生きて来た。そして同族となり仲良く暮らしてきた我ら大和民族と私は思って居る、だから家族は大切です、その家族は何で繋がっているかと言うと姓がある、その昔は遠い地域とはあまり交流が無いから単純な名前で良かったが交流が広くなり人口も多くなると姓名が有った方が良いという事になる。

我が国は良い意味では男系主体時代が有ったが、今は男女平等時代となり男系、女系とは関係ない社会であり婚姻すれば互いに話し合い「互いのどちらかの姓に決めて届ける」ことと民法は定めているのだから、「個人の自由」は侵していないと感じている。ただ男系の名残りがあり、そのように決めた方が現在住んで居る環境では合理的であると大多数の人が思って居ればそれで良いのではないか。

我ら日本国という現在の環境では夫婦別姓では馴染まない環境に有るのだから事を荒げる事は無いだろう。メリット、デメリットと現状の環境で比較すればデメリットの方が強いと感じる、夫婦別姓を主張している人達は「個人の我欲」を言っているだけではないだろうか、民主主義は皆が良いとする方向で考える事だから少数意見は意見として聞いて置き、何時の時かそのような人が多くなればそのようにすれば良いのではないかと思う。